
『叛乱』上・下 立野信之著 昭和27年第28回直木賞受賞作品
この書籍は、ぺりかん社1970年4月20日発行
二・二六事件のドキュメンタリー小説
『叛乱』DVD 新東宝映画1954年公開 佐分利信監督 脚本菊島隆三 出演藤田進 細川俊夫 ほか
観てから読むか、読んでから観るか。
DVDあとがき
昭和11年2月26日早暁。帝都の白雪を鮮血で染めた維新革命。
昭和10年8月12日。台湾への転出を命ぜられた相沢中佐は在地に向かう途中に陸軍省へ立ち寄って軍務局長永田鉄山を斬殺して憲兵に逮捕される。永田少将は財閥と結び軍需産業を基盤とした国家総動員体制を企画する統制派中心人物で、これに対して相沢は、腐敗した財界、政界、軍閥を倒して天皇親政の国家改造を断行しようとする皇道派青年将校のひとりだった。世は庶民が冷害凶作に苦しむ一方で、軍閥や財界は益々肥大化していった。相沢の裁判が近づくに連れて青年将校たちの悲憤は募っていく。さらには公判をめぐる統制派の陰謀も彼らを刺激し、革命決行の気運が高まっていくのだった。その矢先、決起の中心となる第一師団の満州派遣が決定する。もはや大勢をせきとめることは不可能だった。そして雪降る帝都は2・26の朝を迎える。
映画『叛乱』新東宝1954年公開 監督佐分利信 脚本菊島隆三 出演藤田進 細川俊夫 山形勲 他
原作 立野信之 二・二六事件のドキュメンタリー小説 昭和27年度直木賞受賞作
『叛乱』あとがき 立野信之
抜粋:ニ・二六事件は、日本陸軍始まって以来の大事件であるが、しかしクーデターとしては実に無計画、無謀な事件であった。決行後の政治プラグラムも何もなく、ただ君側の奸臣を倒せばそれで維新革命が招来すると素朴に考えて事を起こしたのである。そこに彼らの若さがあり軍隊教育しか受けていない軍人の短見があった。帝国主義軍閥のメカニズムはかれらが考えたほど単純なものではない。矛盾と混乱はそこから生じ、事は完全に失敗に帰したばかりでなく、結果的にはかれらが希望したのとは正反対の社会情勢が急速に強まり、かれらが身をもって防止しようとした戦争ー日華事変へと突入してしまった。しかもそれは二名の将校の自決と、相沢中佐を含めた20名銃殺刑と、直接行動には関係のなかった皇道派青年将校の大量検挙投獄によって贖ったのである。
北一輝の「日本改造法案」とは
青年将校たちの国家革新思想の支柱となっていたのは、思想家北一輝の「日本改造法案」である。それによると、天皇制の問題はこう規定してある。「天皇は国民の総代表たり、国家の根柱たるの原理主義を明らかにす」。北の考えた天皇は「国家の所有者たる家長というの古代内容ではなく「国民の特権ある一分子、美濃部博士のいわゆる広義の国民」であった。あくまで「国民の天皇」であった。だから北は、決して「天皇の国民」とはいわなかった。そして皇室財産はすべて国有として、天皇の財閥の一員たるを防ぎ、一方国家の元首としてそれにふさわしい皇室費を計上すると、規定している。
だが、ニ・二六事件の蹶起将校たちは、北の思想的影響を十分受けながらも、この天皇制の問題を敬遠している。
解説 尾崎秀雄(抜粋)
ニ・二六事件は日本社会のもつ政治的矛盾のひとつの表現であっただけでなく、統帥権や粛軍問題、あるいは天皇機関説の問題にまでわたる政治史の複雑で多岐にわたる諸問題におよぶ内容をはらんでおり、この事件を取り上げて事柄の全貌にせまろうとするだけで、有に半生を、いや、一生をかけるにふさわしい対象といえるだろう。
あとがき:映画化され、ドラマ化された。日本史上の大事件はなぜか雪の朝が多い。
『忠臣蔵』『桜田門外の変』そして『ニ・二六事件』。
映画『叛乱』のラスト近く、北一輝がつぶやく「この日本には革命はおきない」と。
「この事件の落着する前後から日本は大変なところに突入する」北の予言どうりに、7月には盧溝橋事件が起き、日本は中国との戦争に突入する。
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